ニヒリズム
モチベーションアップの法則

ニヒリズム

ニヒリズム(虚無主義)とは「物事の意義や目的といったものは存在しない、自分自身の存在を含めて全てが無価値だ」とする考え方や態度のこと。 

絶対的な価値観が喪失し、未だに社会全体を貫く新たな価値観を見いだせていない閉塞感漂う現代社会においては陥りやすい考え方と言えるかもしれません。

「どうせ意味ないでしょ」

そんな、諦めにも似た声が街中に溢れている気がします。

「ニヒリズム」に陥ると、何を目指してよいのか、何のために生きているのかがわからなくなり、喜びを感じる力も奪われていきます。そして、「どうせ何やっても同じ、意味がない」と生きる気力そのものまで失ってしまいます。

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超人(ニーチェ流ニヒリズム克服法)

ニヒリズムといえば哲学者のニーチェが有名ですが、彼はニヒリズムは人間を末人(まつじん)にする、と言っています。
末人とは「安楽がよい、冒険しない、憧れというものを持たない」人のこと。そんな末人のことをニーチェは厳しく批判しています。 

そして彼は、末人になるのではなく、ニヒリズムを克服して超人を目指せと言います。
超人とは、新たな価値や理想の創出を目指して努力する人といったイメージでしょうか。物事の意義や目的が見出せなくても、腐るのではなくその創出を目指せというような意味です。失敗してもいいからあれこれ実験してみよ、と言っています。 

そして、超人になるためには精神の3つの変化が必要だといいます。 

私は君たちに精神の三つの変化を挙げよう。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になる次第を。
(ツァラトゥストラ)

ラクダとは、様々な重荷を抱え込んでそれに耐えている精神のことを指します。 抱えている様々な悩みであるとか、人間関係や道徳や常識といったものに押しつぶされそうになりながら耐えているといった状態でしょうか。 

そこからシシへと変化します。 シシとは、自分が抱えていた様々な重荷や、自分を拘束していた一切のものに対して「NO」と言う精神。
シシは、自分の最後の主であった巨大な竜に闘いを挑む。この巨大な「竜」は「なんじ、なすべし」と叫び、シシは「我欲す」と答える。 つまり、「〜しなければならない」というところから生きるのではなく、「〜したい」というところから生きるようになるということを表しています。
ここに至るには内面で打ち勝つべき何かがあり、それをここでは「竜」という比喩で表現しているわけです。 

そして、最後に無垢な子供の精神へと変化していくといいます。ここでいう子供とは、自分勝手な存在といった意味ではなく、何事にもとらわれず好奇心旺盛で明るく創造的でエネルギーに満ち溢れた存在という意味でしょう。

突き抜けたニヒリズム (宮崎駿流ニヒリズム克服法)

映画監督の宮崎駿氏が「風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡」という本の中で、突き抜けたニヒリズムというものについて語っていました。

伝導の書(旧約聖書の一書)に書かれている突き抜けたニヒリズムっていうのは読んでいてちょっと元気が出ました。 汝の尽くせる限りのことを尽くせと、黄泉(よみ)の国にいったら何にも無いよって(笑)。
権謀(けんぼう:その場に応じた策略)も術策(じゅっさく:はかりごと)もないけど知恵も知識もない、だからお前の空なる人生のあいだは自分のパンを喜びをもって食い楽しみながら酒を飲んで、額に汗流して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは神様もよしとしてるんだっていう。
すごいですねぇ、旧約聖書っていうのはすごいものなんだなぁっているのを初めてその時知ったんですけど(笑)

「お前の空なる人生」とここまでアッサリ言われてしまうと、人生の意義や目的を求めて苦しんでいたのがバカらしくなってしまいます。その上で、食って飲んで楽しんでやれるだけのことをやれと言ってくれています。突き抜けちゃうとそんなものかもしれません。

さらに、突き抜けたニヒリズムを動機づけるものは?と聞かれて次のように答えています。

「ええ、難しいですね、ものすごく難しいと思います。でも安直なイデオロギーは手に入れたくないですね。だからやっぱり、どうもねぇ、ある種の歴史観で見ちゃうと「どうしてこの時代に人が生きていたんだろう、生きて入られたんだろう」って、理解できなくなる瞬間があるんですよ。どうも人が生きるっているのは、そういうのとはなんか根源的にちょっと違うものなんだなっていう。「人がなぜ生きていくのか」とかさ。それをこのごろ思いますね。子供をいっぱい作れっていうようになっちゃいましたから(笑)。
とにかくいっぱい作っていっぱい苦しんでね。アトピーに悩み、環境問題に悩み経済に悩みながら生きているくことがどうやら生きてくということらしいと。そうやって当面、あと10年ぐらい生きていこうっていう風に僕は決めたんです(笑)」

生きるとは本来もっと暮らしの中にあった。現代の我々の暮らしは便利になったけど、その分本来の暮らしから離れてしまった。
でも、突き抜けたニヒリズムを動機づけるものはやっぱり日々の暮らしの中にある、ということだと思います。

「いやぁ、だから人っていうのは愚かなものなんだよっていうね。実は僕は母親とその問題をめぐって、ずーっと思春期の頃に論争してたんです。「人間っていうのは仕方がないものなんだ」っているのがオフクロの持論で、僕は「そんなことはない」って言い合ってたんですけどね。どうもこのままいくと、オフクロに無条件降伏になるから嫌だなと思って(笑)」

ニーチェがニヒリズムに飲まれた人間を末人と呼んで厳しく批判したのと対照的に、宮崎駿(母)は人間っていうのはダメなところがあるんだということを引き受けている。
人間観の違いがそのままニヒリズムの克服法にも現れてきています。

まとめ

生きる気力を奪うニヒリズムを克服する方法として、「超人(ニーチェ流)」と「突き抜けたニヒリズム(宮崎駿風)」の2パターンを紹介しました。

ニーチェ流の方は、ニヒリズムに真っ向から立ち向かって打ち勝っていくという「理想追求型」という感じかもしれません。
一方、宮崎駿風の方は、暮らしの中でニヒリズムを放り出していく「庶民生活型」と言えるのかもしれません。