「メメント・モリ」
〜スティーブ・ジョブズが大学生に送ったメッセージ

メメント・モリ(memento mori)とは、ラテン語で「死を想え」「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」といった意味の警句。

元々は古代ローマで戦いに勝利した将軍が凱旋パレードを行う際、「今日は良くても明日はどうなるか分からないから気を抜くな」ということを思い出させるために、使用人に言わせていたと伝えられています。

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生きるために死を想う

例えば、もし急に「あなたの余命はあと半年です」と言われたとしたらどうするでしょう?

まだまだ続くと思っていた自分の人生が急に終わると告げられるわけです。

漠然とまだこれからも続くと思っていた自分の人生があと少しで終わることになったら……。
まだまだあると思っていた時間がもう無いと知ったら……。

一体何を思うでしょう?

――― これまでなんとなく描いていた人生計画や、いつか叶うと良いなと思っていた希望は全て崩れ、やり場のない怒りや絶望感に襲われるかもしれません。

そしてきっと思うはずです。

「もっと自分の人生を生きればよかった。やりたいことをやれば良かった。もっと時間を大切にすればよかった。もっと家族や友人と一緒に過ごせばよかった」と。

現在使われる「メメント・モリ(死を想え)」とはそういう意味です。

自分自身に「死」を突きつけて、そこから「どう生きるのか」を考えろというメッセージです。 

「死」を身近に感じるからこそ「生」が輝くのです。
死を身近に感じることがない現代人の私たちは、いつのまにか生きることに対しても鈍感になり、本当の意味で生きていないのかもしれません。

そんな私たちに強烈な喝を入れてくれるのがこの「メメント・モリ」という言葉です。

スティーブ・ジョブズのスピーチ

アップル創業者の故スティーブ・ジョブズが、2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、癌を宣告され、死と向き合ったジョブズの経験に基づくメッセージが多くの人の感動を呼びました。

そのスピーチの中でまさに「メメント・モリ」について語られた部分を下記に紹介します。

私は17歳の時にこんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」

それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。
その答えが何日も「NO」のままなら、ちょっと生き方を見直せということです。

「自分はまもなく死ぬんだ」という認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖など、これらはほとんどすべて、死の前では何の意味もなさなくなるからです。そこに残るのは、本当に必要なものだけです。
死を覚悟して生きていれば、「何かを失う」という心配をせずに済みます。我々はみんな最初から裸です。素直に自分の心に従えば良いのです。

1年前、私はガンと診断されました。
朝7時半の診断で、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知りませんでした。医者からはほとんど治癒の見込みがないガンで、もっても半年だろうと告げられました。
そして、医者から「自宅に戻り身辺整理をするように」言われました。つまり、「死に備えろ」という意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。そして、その日の午後にカメラを飲む検査を受けました。内視鏡が胃を通って腸に達し、膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。
鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、妻の話によると細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したというのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。
私は手術を受け、おかげで今は元気です。

これが、人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。

このような経験をしたからこそ、死というものがただの概念だった頃より、確信をもって言えることがあります。
「誰も死にたくはない」ということです。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。

しかし、死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいないし、今後もそうあるべきです。
死はたぶん、生命の最高の発明です。死は古き者を消し去り、新しき者への道をつくる。ここでの「新しき者」は君たちのことです。しかしそう遠くないうちに君たちも「古き者」となり消えてゆきます。 深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の雑音で、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはずです。他のことは二の次で構わないのです。

スピーチ動画(紹介した部分は8:50〜)

「メメント・モリ」を意識した人たち

「死は、本当は近くにあって当たり前なんだと思う。何となくぬるま湯に浸かっているような生き方をしているので、たまには死について思いを馳せたい」

「わたしは、この自分の生命を味わい尽くしたい。全身の細胞で呼吸し、肉を貪り、大声で泣き笑い、疲れたら愛する男の腕に抱かれ眠る。生きていることを全身全霊で感じたい」

「今日死んでも悔いはない、って生き方がしたい。身近な人を亡くすたびそう思ってきたのになかなかできない」

「死から逆算して考えると、自分のやりたいことをするのに人生って意外と短いんだろうなと思う。なんだか軽いものだらけの東京を抜け出し、生命がギラギラしてる南国を旅したい気分ななる」

「どれだけ自分の心を深いところで満たすことができるか、といった軸を人生に取り戻すことが求められていると思った」

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