「死にたい」という言葉の奥にあるものに触れる

死にたい

カウンセリングをしていて、その相手が「死にたい」と言ってきたらどうするか。
カウンセラーとしての経験から書いてみようと思います。 

「死にたい」と思うことがある人や、カウンセリングを受けてみようか迷っている人にとって、何か参考になることがあれば良いのですが……。

目次

「死にたい」と言われたら

まず、話の中で「死にたい」という言葉が出てきたら、やはり当然「ドキッ」とするでしょう。そして、この人はどういうつもりで「死にたい」と言ったんだろうというのを感じようとします。

同時に、「私を信頼してそこまで話そうとしてくれてありがとう」という感謝の気持ちや、「この人はそれだけ自分の人生に真剣に向き合っているんだな」という尊敬の念と、「これから話の核心に入っていくんだな」という真摯な気持ちにもなるでしょう。

そして心の中では、前のめりに座りなおして、より真剣に話を聴くモードに入ります。 ただし、実際にそうした態度をとると、身構えてしまって話しにくくなるでしょうから、表面上は「あぁそうですか」程度の反応を示すことになるでしょう。

当たり前ですが、カウンセラーは「死にたい」という人に対して、「そんなこと言っちゃダメだ」とか、「生きたくても生きられない人もいるんだよ」などと頭ごなしにその人の意見を否定するようなことは言いません。

また、あまりむやみに話を先に進めたり、無駄な情報収集もしません。
例えば次のようにカウンセリングは進みます。

相談者「死にたいんです…」
カウンセラー「あぁそうですか…」
相談者「…」
カウンセラー「…もし良ければ、もう少し聴かせてもらえますか?」
相談者「…これまで頑張ってきたんですが、もう疲れちゃって…」
カウンセラー「そうだったんですか…頑張ってきて疲れちゃった…」
相談者「はい…そうなんです…」
カウンセラー「それで死にたいと思ったんですね…」
相談者「はい…」
カウンセラー「… …」
相談者「まぁ自分も悪いのはわかってるんですけどね」
カウンセラー「というと?」
相談者「私の努力が足りなかったからこうなったんですけど、でも誰も何もしてくれなかった…」
カウンセラー「そうでしたか…」
相談者「だから私は辛かった…」
カウンセラー「○○さんにとってそれは本当に辛い出来事だったんですね」
相談者「…そうなんです。もともとは〜〜〜」

相談者の反応次第ですが、カウンセリングではこのように「その人の感情にただ寄り添う」のが基本です。
場合によっては、ただ黙って頷いているだけなんてこともあるでしょう。 相談者の感情に寄り添いながら自発的に話すのを促していきます。

この会話例は、かなり省略していますが、話はここから確信に迫っていくことになるでしょう。

「死にたい」とは?

本来は「〜したい」という言葉は、その人の意思が現れる言葉として前向きに捉えることが多く、カウンセラーとしては「いいですね〜。じゃあやってみましょう」となることも多いのですが、「死にたい」に対して「いいですね〜。じゃあ死んじゃいましょう」とはやっぱりなりません。

「死にたい」と言っている人の声によく耳を澄ませると、そこから聴こえてくるのは、たいてい「私は自殺します」という決意表明ではなく、「もう生きているのに疲れた」「何かがもう嫌だ」と言っているのだと気がつきます。
「だから逃げ出したい!」「楽になりたい!」という心の声です。

「死にたい」の後に続く省略された言葉に耳を傾ける

「死にたい(くらいツライ)」
「死にたい(くらい何もかもが嫌だ)」
「死にたい(ほど疲れ切ってる)」

同じ「死にたい」でもその後に省略された言葉に耳を傾けると様々な声が聴こえてきます。 それこそがその人が本当に言いたいことだったりします。

実は、人は話の中で本当に大事な部分を省略していたりします。 カウンセラーはその声なき声にも耳を傾けていく必要があるわけです。つまり、ここで語られるべきは、「死ぬのか死なないのか」という2択についてではなく、そこに至るまでの相談者の心の景色というわけです。

人が「死にたい」と言う時

人が「死にたい」と言う時は、車でいうガソリンが空になりかけているのだと感じます。人間で言えば、愛、希望、尊重、心の交流、使命感、創造などといった生きるエネルギーとなりそうなものが空になりかけている。だから力が湧いてこない。

ガソリンが空なのに無理やり車を走らせようとアクセルを踏み込むのは危険です。エンジンが壊れてしまいます。人間も同じです。この状態で無理してもあまり良くない。まずはガソリンを給油するのが先決です。

もっとも、「死にたい」と言っている人の中には、自らガソリンタンクのキャップを固く閉ざしている人もいます。ガソリンを入れることを自ら拒む。そんな人もカウンセリングで自分のことを深く話し浄化されると、そのキャップを開ける気になることがあります。

カウンセリングでたどり着く場所

カウンセリングの良いところは、自分が思っていることを最後まで出し切れるところです。 通常の会話ではそうはいきません。 相手も自分の意見を言ってくるでしょうし、口が達者な人が多くを喋り、口下手な人は自分が思ったことの半分も喋れないでしょう。 

人間は、心の底で思っていることに自分自身で気づいていません。いや、正確に言うと心のどこかで気づいて入るけど、それは奥底にしまわれたままになっている。
カウンセラーに話を聴いてもらいながら、自分の思っていることを話していると、最後にその心の底で思っていたことにたどり着くことができます。 

ただ自分のことだけを話して、話して、話していくことで、初めて本当の自分の本音にたどり着くわけです。 それは、元々心のどこかでは感じていたことかもしれませんが、実際に話してそこに到達することで、自分の中で色々なものが浄化され、その本音へのパイプができる。 

そうして人間は癒されていく、もしくは前に進めるようになる、ということだと思います。 カウンセリングはナマモノで、そこで何が起こるかはわかりませんが、カウンセリングの効果とはそういうものです。

カウンセリングは万能ではありません。向き不向きやカウンセラーとの相性もあるでしょう。ただ、自分の言葉にそっと耳を傾けてくれる人がいるのは心強いものです。

……少しでも誰かの助けになることを願ってこの記事を書きました。


カテゴリ モチベーションコラム
 タグ  心理学

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