他人と比べる生き方は疲弊する

人間は「幸せ」を、他人との比較の中で感じている。
そんなことはない、と思う方もいるかもしれませんが事実です。 

例えば、毎月の給料が20万円だった会社員のAさんは、会社の業績アップで来月から給料が25万円に上ることになり、とても喜んでいました。
しかし、同僚のBさんの給料が20万円から30万円に上るということを知り、その瞬間からとても落ち込んだといいます。それどころか、喜びは消え失せ、自分は不幸だと感じるようになったのだそうです。 

また、Cさんは夢だった念願の高級タワーマンションの一室を購入。
友人たちから羨望の眼差しを受け得意げでしたが、それもつかの間。
マンションのエレベーターに乗るたびに、自分より高層階に住む人たちに対して劣等感を感じるようになったといいます。

また、主婦のDさんが最近落ち込んでいるのは、隣に住むEさんが高級車を購入したからだといいます。

この3つのケースは全て、人間が「幸せ」を他者との比較の中で感じていることを証明しています。
どれも自分自身に不幸なことは起きていないにも関わらず、不幸や劣等感を感じています。

人間は、思った以上に「他人との比較」の中に「幸せ」を見出しています。
もちろん、それは本能的なものでもありますから、無理に否定する必要はありません。

過度な競争は人を疲弊させる

しかし、他人との比較や競い合いの中に幸せを感じる競争原理の中にどっぷり浸かっていると、どうしても息苦しくなることがあります。

なぜなら、この仕組みの下では、参加者全員が過度の負担を強いられるからです。
周囲の人より少しでも抜きん出るために睡眠時間を削って深夜まで働き、少しでも高級なマンションや車を買うために金銭的にも無理をして…。

時間的にも、金銭的にも、自分の持っている全てのリソース(資源)を競争に使い果たしてしまっています。

それで体はヘトヘト、心はカラカラ… というわけです。

しかも、そこまで全てを注ぎ込んでも報われる可能性はあまり高くありません。
上には上がいますから、無限の競争社会はどこまでも続きます。
他人との比較の中に「幸せ」を見出そうとする限り…。

健全な競争は成長をもたらしますが、過度な競争は疲弊をもたらします。

「地位財」と「非地位財」

経済学者のロバート・フランクは、他人との比較優位で満足を得るものを「地位財」、他人との比較ではなく主観的な満足に根ざしたものを「非地位財」と整理しました。 

これまでの競争社会の中で、私たちは「非地位財」を犠牲にしてでも「地位財」を獲得しようとしてきました。 「地位財の獲得=幸せ」と信じてきたからです。

しかし、今や自分の時間や労力や金銭のほとんどをこの「地位財」の獲得に注ぎ込んだとしても、簡単には幸せになれないということがわかってきました。

本当は「非地位財」の方が幸福の持続性が高く、幸福のコストパフォーマンスは良いのです。

人間が幸せになるためには、他者との比較に根ざした「地位財」ではなく、自分の主観的な満足に根ざした「非地位財」に自分の時間や労力やお金をつぎ込む方が効率的だったというわけです。

人生のリバランス

これに気づいた人は、すでに行動を始めています。
これまで軽視してきたことに自分の時間や労力を注ぎ込む動きが広がってきました。 

それは、余暇の充実だったり、暖かい家庭や人間関係、趣味や学びといったものです。 ボランティア活動や地域での活動を始める人も増えました。

より人間的で持続的な幸せはそこにあるということを再発見したわけです。
だから、自分のリソース(時間、労力、お金など)の投入先をシフトさせている。 

それは、人生のリバランスと言っても良いでしょう。
そのバランスを取るのに少し苦労する人もいます。社会全体のシステムがそれに追いついていないため、個人個人で創意工夫する必要があるからです。

しかし、社会全体の大きな流れとしても脱競争社会へと向かっています。
社会のシステムや個人の生き方が転換期を迎えている中で、私たちも試行錯誤を繰り返していくわけです。 

最後に

新しい時代はもう始まっています。
競争社会の中で疲弊している人は、他人との比較の中で生きるのをやめ、自分の主観的幸せにフォーカスしていきましょう。 


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