自分を愛する〜自分を愛せない人は他人も愛せない

あなたは、自己否定が習慣化していないでしょうか?
いつの間にか、言葉の端々に自己嫌悪が潜んでいないでしょうか?

多くの人たちが、「自分に自信を持つことが大事だ」と言いながらも、自分を愛することができず、むしろ自己嫌悪に悩まされています。
自分自身を愛するのは良くないことだという、数かぎりない教えに従って育てられてきたことが原因なのかもしれません。

自分を愛せない時、そんな自分に代わってその人の人生の主導権を握るものがあります。

「他人からの評価」です。

「他の人があなたをどう思うか」があらゆることの基準となるのです。
それも当然です。 自分を愛せていないということは、自分には価値がないと感じているわけですから、そんな自分の感じたことなど、むしろ否定すべきことだと感じてしまうでしょう。 そうなれば、他人の評価に従って生きるしか、頼るべきものがありません。

しかし、それは不幸なことです。 自分を取り戻さない限り、決して幸せになることはできないでしょう。

幸福の源泉は「しなやかな精神」だからです。

他者からの評価では無く、その人が世界とどう関わっていくかという、生きる姿勢が幸福をつくるのです。

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目次

自分を愛せない人は他人も愛せない

「しなやか」な精神は自分を愛することから始まります。 自分を愛せない人は他人も愛せません。

始まりとなるべき土台がないからです。

自分を扱う態度は他人に対する接し方につながります。自分を憎みながら他人を愛そうとすると矛盾が生じます。歪んだ愛の形になりやすいのです。

自分を愛せる人は周りの全てのものも愛せるようになっていきます。

自分をどう認識しているか?

結局、「自分を愛する」というのは、「自分自身をどう認識するのか?」ということなんだと思います。 自分を愛せないという人は、きっと自分自身を心のどこかで次のように認識しているでしょう。

「自分はどこか欠落した存在で、今のままでは価値がない」 

一方、自分を愛せる人は、自分自身を次のように認識しているでしょう。

「自分は大きな愛の流れの中の一員である」

自分を愛せない人は、他者との比較の中で自分という存在を見出そうとしています。

一方、自分を愛せる人は、もっと大きな流れの中で自分という存在を見出していることがわかります。 立ち位置がだいぶ違います。

前者は「条件をクリアすれば自分を愛せる」、後者は「無条件で自分を愛せる」というわけです。また、前者は「自分を愛することがゴールであり目的」であるのに対し、後者は「自分を愛することがスタートであり始まり」でもあります。

考え方が全く違いますね。

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
まず僕たちは、自分自身の素晴らしさと不完全さの中で、自分自信を愛することを学ぶ必要がある。

by John Lennon (ジョン・レノン)

「愛」と「恐れ」どちらで生きるか

最終的に選択肢は二つです。

「恐れ」から生きるのか、「愛」から生きるのか ── 。

全ては自分の意思で選択することができます。目の前に「恐れ」と「愛」という二つのプールがあって、どちらに飛び込むか決めるようなものです。

「自分を愛する」のはそのスタートであり、すべての始まりです。 慣れるまで、訓練が必要かもしれません。これまでと全く違う態度を身につけるわけですから。

自分自身に優しく接し、大切に扱ってあげましょう。 優しくねぎらってあげましょう。 「恐れ」から来る自己否定の声が湧き上がってきても、その声には耳を貸さずに、自分に優しく接し続けましょう。 やがて自己否定の声は小さくなり、素直に自分を受け入れ、自分を愛し、他者をも愛せるようになるでしょう。

この世界は非常に美しく、またすばらしい所である。愛があなたの人生となれば人生はとても優しいものとなる。 あなたはいつも愛に満ちていることができる。それはあなたの選択だ。 あなたは愛する理由を持たないかもしれない。しかしあなたは愛することができる。 それは愛がとてもあなたを幸福にするからである。愛があなたに心の平和を与える。それはあなたの受け取り方全てを変えてしまう。

四つの約束/ドン・ミゲル・ルイス

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