競争のススメ

今の世の中には、「競争は良くないものだ」という風潮がどこかにあるような気がします。
一昔前の競争社会で生じた社会のひずみからの反省もあるでしょう。
確かに、行き過ぎた競争は、多くの敗者を生み社会を疲弊させます。

私自身も競争というものにあまり良い印象を持っていませんでした。 人と競い合うより、「自分らしさを大切に生きていこう」とか、「競争より共生が大事」だと思っていました。

しかし、最近そうした考えにやや疑問を感じるようになりました。

それは一見、とても健全なように感じるけれど、行き過ぎるとそれもまた不健全なものになってしまう。
やっぱりある程度の競争がないと、緊張感がなく緩みすぎてしまう、と感じるようになったのです。

それは、オリンピックなどで互いに競い合うアスリートの姿を見たのがキッカケでした。
彼らは、ライバルと競い合うことで素晴らしい輝きを放っていました。

アスリートなら誰でも輝いて見えるわけではありません。
輝いて見えるのは、正々堂々とリアルに勝負しようとするアスリートたちです。勝つためなら不正にも手を染めるようなフェイクスターではありません。

彼らは当然勝負にもこだわりますが、目先の勝ち負けだけでなく人間としての成長や成熟により重きを置いているように見えます。
競争を通して人間を磨いているとも言えるかもしれません。

そんな彼らの姿を見ていると、健全な競争というものがいかに人間を成長させるのか、ということを改めて感じさせられます。

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健全な競争とは

どうやら、一口に競争といっても健全なものと不健全なものがありそうです。

不健全な競争というのは、恐れをベースにしたダークな感情がそこにあります。 ちょっと極端な例かもしれませんが、軍拡競争などはその最たるものです。互いの足を引っ張り合う出世競争などもそうでしょうか。

「どんな手を使ったって勝ちゃいいんだよ」という声が聞こえてきそうです。
そうした競争に巻き込まれると疲弊してしまいます。

一方、健全な競争には、互いの尊重、人間としての成長といった前向きな思想があります。 恐れに飲み込まれず、人間としての尊厳を手放していません。

つまり、競争が人を不幸にするのではなく、恐れが人を不幸にする。
勝負に負けることを恐れるあまり、人間として大切にすべき尊厳を手放してしまうと、競争は不健全なものに変わってしまうのです。
何でもありの下品な競争に成り果ててしまう。

恐れに負けることなく、人間としての尊厳を手放さなければ、競争というものは素晴らしい成長の器に変わるのだということです。

競争のススメ

もちろん、競争の果てには敗者が生まれます。しかし、それはそれで仕方のないことだと受け入れる強さと覚悟を持つ必要があるのだと思います。
敗者は何度でもまたそこから立ち上がることができるのです。

競い合う中には独特の緊張感があります。その中で人は磨かれていきます。
競争は、勝つためというより自らを高めるためにあるものだと、認識を改めると見える景色が違ってきます。

競争を恐れて勝負から逃げていると、可能性はどんどんしなびていきます。

私もこれからは、不健全な競争からは身を引き、ライバルと互いに競い合うことで成長して行く、そんな健全な競争をもっともっとしていこうと思います。

「競争が大好き。だって勝負ってワクワクするでしょう?」
(デルフィーヌ・アルノー :ルイ・ヴィトン幹部)

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