陰徳(いんとく)を積む

「陰徳(いんとく)を積む」という言葉があります。
── 人知れずひそかに良い行いをするという意味です。 

個人的な見解ですが、人から尊敬を得るような素晴らしい人間性を持っている人は、必ずこの陰徳を積んでいると考えています。

長い年月積み重ねられた陰徳が、その人を通して醸し出される ── 。

それを私たちは肌で感じ取ることができる。
そしてそこに含まれる、人とにしての深みや温かみ、強い意志といったものに対して尊敬の念を抱く。

── そういうことなんじゃないでしょうか。 

一方、どれだけお金持ちでも、社会的に重要な役割を担っていても、「なんだか薄っぺらいなぁ」と感じる人がいます。

そういう人は、陰徳を積み重ねてないから醸し出される「何か」がない。
だから薄っぺらく感じてしまうのではないでしょうか。

そんな気がします。

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目次

陰徳を積むの具体例

陰徳で積み上げる「徳」は、それほど大それたことである必要はありません。
それは「小善」というイメージに近い。
例えば次のような行為です。

このようなちょっとした行為です。それを人知れず密かに行うわけです。
誰かにアピールするためだったり、見返りを求めて行ったのでは「陰徳」とは言えません。

陰徳を積む効果

「陰徳なんて積んでも意味がないよ」と考える人は、まだ人生を貫く法則を理解していないと言わざるを得ません。

「陰徳」は巡り巡って結果的に報われることになるからです。
「陰徳あれば陽報あり」という言葉もあるくらいです。
これは「人知れず徳を積み重ねる者には、必ず目に見えて良いことが返ってくる」という意味です。

まさに因果応報です。
陰徳を積み人徳を備えた人は、何かしらのかたちで報われるのが道理なんです。

心理学的に見ると

心理学的に見ても、陰徳を積むことは理にかなっています。
陰徳を積めばセルフイメージが良いものに書き換わるからです。

人知れず密かに行う行為であっても自分自身はそれを見ています。
自分がどれだけ良い行いをしたのか全て知っているのです。
自分で行った行為ですから当然のことですが、それによって「こんなに良い行為をするなんて自分ってなんて良い人間なんだろう」と思えるようになるわけです。

すると、自己肯定感が増し、自分自身のことを「幸せになるに値する人物」と捉えられるようになります。
これはとても価値のあることです。
人は心のどこかで自分のことを否定していることがほとんどですから。

人間が心の奥底で確信を持ってイメージしたことは現実のものとなります。
つまり、自分で自分のことを「幸せになるに値する人物」と思えたのなら、やがてそれが現実となるわけです。

まとめ

ここでは、陰徳を積むことの良さについて書きました。
小さな良いことを積み上げていくことが大事です。
それが巡り巡って自分に戻ってきます。

「一日一善!」なんて言葉はちょっと古臭いですが、そんな心構えが自分自身の信頼のベースを作り、明るい未来の扉を開くことになります。

あなたも今日から、自分も他人も心地良い「陰徳生活」始めませんか?

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