「自分が正しい」という決めつけが争いを生む

争いの根底に必ずあるものとは何でしょうか?

……それは「自分が正しくて相手が間違っている」という決めつけです。

それをお互いにぶつけ合うことで争いが起こるのです。

常に怒りの中にいて、いつも周りに敵を作る人は、狭量(きょうりょう:人を受け入れる心が狭い)で人に対する寛容度が低いという特徴があります。

一方、穏やかで周りに敵を作らない人は、人に対して寛容で世の中には様々な人がいて、様々な意見があるということを理解しています。

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相手を攻撃するための常套手段

争いの中には、口では「正しさ」を主張しながら、実はそれを口実に気に食わない相手を攻撃したいだけのものも多く含まれます。

その場合は、相手を攻撃する口実に「正しさ」を利用しているに過ぎません。

そもそも「正しさ」を主張する裏には、たいてい攻撃性が潜んでいます。

「自分が正しい」と主張するからには、「間違っている人」が存在しなければなりません。
「間違っている人」がいなければ、「自分が正しい」と主張できないのです。

気に食わない相手を攻撃したい時、そうして「正しい人」と「間違った人」というレッテルを貼るのは常套手段です。

そして、そんな時はたいてい自分の「正しさ」の証明より、むしろ相手の「間違い」の糾弾にエネルギーが強く向かいます。

目的は相手を攻撃することですから当然のことです。

厳格な裁判官

人間の思考の弱点は「決めつけ」をしたがることです。

「あいつはああいう人間だ」「これはこうあるべきだ」と決めつけてしまおうとする癖があるのです。

曖昧なままにしておくより、決めつけてしまった方が楽だからです。
決めつけてしまえばもう考えなくて済みます。

考えるスタミナのない人ほど、いとも簡単に物事を決めつけてしまいます。

しかし、「決めつけ」は争いや痛みを伴うドラマを引き起こします。

「決めつけ」は、まるで厳格な裁判官のようにルール違反者を厳しく罰しようとするでしょう。

しかし、罰せられる相手も人間ですから当然いわれなき罰に激しく抵抗することになります。

そこで、争いや痛みを伴うドラマが巻き起こるのです。

「自分の正しさ(=相手の間違い)」を主張し合う争いは、たいてい決着がつきません。
不毛な争いが続いて、場合によってはエスカレートしてしまうこともあります。

裁判官より良き隣人

不毛な争いを避けるために、私たちは争わない姿勢を持つ必要があるのだと思います。
決めつけをせず、レッテルを張るのをやめ、裁判官ではなく良き隣人になりましょう。

「自分が正しい」「間違っているのは相手だ」という決めつけをして、必要以上に争いをエスカレートしていないでしょうか?

誰もが争いより心の交流を求めているはずです。
「怒り」より「良心」に光を当てましょう。

それが自分の幸せのみならず、社会全体にとっての幸せにも繋がっていくのだと思います。


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