不幸印のギフト

人生良いことばかりではありません(当たり前か…)。
生きていれば、自分にとって不都合なことや、嫌なことはたくさん起こります。
それは日常の小さなことから大きなことまで…。
きっと不幸な出来事に遭遇することだってあるでしょう。
そんな時、私たちはそれを見て見ぬ振りをしたり、「何で自分ばかりこんな目にあうのか?」と嘆いてみたり、その問題を手早く解決してくれそうな何かにすがってみたりしがちです。
誰だって不幸な出来事は避けたいし、悩みや苦しみというものには向き合いたくはありません。
それが大きければなおさらです。
手軽な解決手段があれば、それに頼ろうとするのだって当然のことです。
しかし、そういった大きな悩みや苦しみの中には、大抵とても大事なメッセージが隠れています。
しかもそれは、その人の生き方に大きく関わるような大切なメッセージです。
不幸印のギフト
精神科医の泉谷閑示氏の著書「普通がいいという病」の中には、次のような一節があります。
病気や苦しみとは、天からのギフトのようなもので、その中にはとても大切なメッセージが入っている。
だが、それは《不幸印》のラッピングペーパーに包まれているので、たいていは、嫌がって受け取られない。
しかし、それは受け取られない限り何度でも再配達されてきてしまう。
思い切って受け取ってその忌々しい包みをほどいてみると、そこには、自分が自分らしく生きていくための大切なメッセージが見つかる。
うまくいかない時、苦しい時にこそ、そこに大事なメッセージが込められているのだということを覚えておきましょう。
しかもそれは、その人が受け取るまで何度でも形を変えて再配達されてくるものです。
そこには、その人が向き合うべき人生のテーマや使命といったものが潜んでいます。
そして、それに向き合うことによって、自分にとって本当に大切なことは何なのかが理解できるようになるのです。
人生観が変わった人
大きな不幸を経験した人の中には、それを境に人生観が大きく変わった人がたくさんいます。
そして、そうした人たちは、大抵こう言います。
「あの不幸にあわなければ、今の自分は無かった。きっと本当に大切なことに気づくことなく、ただ何となく生きていただろう。今思えばあの不幸が本当の意味で私を生かしてくれた…。」
こうした人たちは、自分が体験した不幸から「不幸印のギフト」を受け取ったわけです。
それによって、降りかかった不幸を意味あるものに変えたのです。
それは、単なる受け身の姿勢ではなく、その不幸な出来事の中から自分にとっての意味を引き出そうとする積極的な行為です。
不幸印のギフトの受け取りをいつまでも拒否し続けていたら、いつまでも被害者としての人生を送ることになるでしょう。
不幸はその時には不幸ですが、そこからどんな意味を引き出すかによって、その出来事の意味合いは大きく変わります。
できれば、自分にとってプラスになる意味を積極的に見出していきたいものです。
気づかせるためにやって来るもの?
もしかしたら不幸な出来事というのは、その人が本当に大事にすべきことからかけ離れてしまった時、それに気づかせるためにやってくるものなのかもしれません。
しかし、不幸な出来事を、そのまま「単なる不幸な出来事」で終わらせるのか、「自分の人生にとっては意味があったこと」にするのかはその人次第です。
もし、いま悩みや苦しみの中にいる人で、準備ができた人は不幸印のギフトのヒモをほどいてみて下さい。
そして、そのメッセージをしっかり受け取ってみて下さい。
「この出来事はいったい自分にどんなメッセージを届けようとしているんだろう?」と自問してみて下さい。
きっと、その姿勢は新しい人生(本当の人生)の扉を開くでしょう。
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