執着を手放す禅の教え「殺仏殺祖」

執着とは、「心をとらわれてそこから離れられないこと」を指します。
「お金」「若さ」「恋人」などに関心がない人はあまりいないと思いますが、それが執着と呼ばれるレベルにまで達してしまっている人も案外少なくありません。
また、「親や周囲の期待」にがんじがらめにされて苦しんでいる人も少なくないでしょう。これも「親を悲しませたくないという思い」や「自分に対する評価評判」といったものにとらわれて執着していると言っても良いかもしれません。
何かにとらわれ執着している状態かどうかは、それが不自由で息苦しいものになっているかどうかでわかります。不自由で息苦しいなら何かに執着している。
何かに執着している状態というのは、例えるなら、鎖で全身を縛られているようなものです。もっとも、その鎖を縛ったのも自分なわけですが、とはいえ大抵自分でもどうしていいのかわからない状態です。
手放したいけど手放せなくて苦しい、それが執着と言えるかもしれません。
執着から生み出されるものは苦悩
執着から生み出されるものは大抵苦悩でしかありません。 そこから、喜びや解放感といったものが生み出されることはほとんどありません。
しかし不思議なもので、執着を捨てると逆にそれが手に入ったりするものです。
「お金への執着を手放したら、逆にお金回りが良くなった」
「親子関係への執着を手放したら、逆に普通に接することができるようになり、以前より仲良くなった」
なんてことがよく起こります。
執着を手放す禅の教え
執着を手放すのに役立つ禅の教えがあります。
「仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。羅漢(らかん:悟りを開いた高僧)に逢うては羅漢を殺し。父母に逢うては父母を殺し。親眷(しんけん:身内や親族)に逢うては親眷を殺し。始めて解脱(げだつ:苦悩や束縛から開放され自由になる)を得ん」
これは、中国唐の禅僧で臨済宗の開祖・臨済義玄(806~867)の言葉。
「殺し」という過激な言葉が並びますが、もちろん本当に殺すわけではありません。
自分の中で勝手に作り上げた虚像を殺す。つまり、虚像に打ち勝つ、色メガネを外す、執着を手放すということです。
それはたとえ神だろうと仏だろうと親だろうと、自分を縛るものは全て自分の中で殺せ(手放せ)ということです。
そうしなければ、苦悩からは解放されないというのです。
これを見て心優しいあなたは「たとえ心の中でだとしても、親や仏を殺すなどとんでもない」と思うかもしれません。でも、優しさは時に互いを苦しめてしまいます。依存や執着といった苦悩から抜け出して、自立した健全な関係を持つには時にこうした考え方が必要になります。
執着を生み出すのは自分の心の中です。自分が勝手に作り上げた虚像です。だから、執着を手放すためには、この禅の教えのように心の中で虚像を殺さなければなりません。
最後に改めて、もう一度(少し省略して)掲載します。「殺仏殺祖(さつぶつさっそ)」と呼ばれる禅の教えです。
「仏に逢うては仏を殺し。祖に逢うては祖を殺し。父母に逢うては父母を殺し。始めて解脱を得ん」
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