諸行無常〜知っておくべき深い意味とは?

私は誰かが亡くなったり、大切なものを失ったりした時、この世の中は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」なのだと心の中で唱えます。
それは、大切なものを失う心の痛みを自分の中で慰め、そして癒そうとしているのかもしれません……。
さて、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とは仏教用語で次のような意味です。
世の中のあらゆるもの(諸行)は、常に変化していて、永久に不変なものなどない(無常)。
人はやがて死に、モノはいずれ朽ち果てます。
美しい花もやがて枯れるし、楽しい時間は終わりの時が訪れます。
若さは年齢とともに失われていき、大切な人との関係もいつか別れの時がやってくるのが定めです。
言われてみれば当たり前のことですが、私たちはそれを心で理解することが苦手です。
大切なものは永遠であって欲しいと願ってしまうのが人間というものです。
大切なものを失う瞬間 ──
それは、いくら抗(あらが)おうと誰にも避けられないことです。
むしろ、抗えば抗うほど苦しくなってしまいます。
結局、自然の法則に逆らうことは誰にもできないのですから……。
諸行無常だからこそ意味がある
こう書くと、人生は儚く虚しいもののように感じてしまいますが、人生は諸行無常だからこそ意味があるのだとも言うことができます。
例えば、ゴールのないマラソンを走っているとしたらどうなるでしょうか?
きっと、どこを目指し何のために走っているのかわからなくなってしまいます。
ゴールが見えない中で苦しみに耐えるというのは、人間にとって簡単なことではありません。
また、持っているものが絶対に壊れないものだとしたらそれを大切にするでしょうか?
壊れやすいからこそ大切に扱うんじゃないでしょうか?
そしてまた、永遠の命が手に入ったらどうなるでしょうか?
きっと面倒臭いことはすべて先送りするようになるでしょう。
時間は無限にあり、人生は永遠に続くのですから、今日やるべきことを十年後や百年後にやっても同じです。
そうなると、今やる意味は全て失い、きっと生きる意味さえ失われてしまうでしょう。
つまり、全ての物事は諸行無常だからこそ(つまり終わりがあるからこそ)意味があるわけです。
永久に続くとしたら、そこに意味を見出すことができず苦しむばかりです。
やがて終わるからこそ、大切に、そして少しでも輝かせようと思えるわけです。
ふたつの教訓
「諸行無常」という言葉の意味を、ただ人生は儚いものだという物悲しい意味にとどめておくのは少し勿体ないと感じます。
「諸行無常」という言葉は、私たちに次の2つの大きな教訓を与えてくれます。
永久に不変なものなど世の中に無いのだから、変わっていくことを受け入れていかなくてはならないということ ── 。
そして、全てのものに終わりがあるのだから、今この瞬間を精一杯大切にしていかなくてはならないということ ── 。

私が、誰かが亡くなったり、大切なものを失ったりした時、心の中で「諸行無常」と唱えるのは、きっとこのふたつの教訓を自分に言い聞かせていたのだと、ここまで書いて気づきました。
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