幸せを自分の内側に求めた
古代ギリシャの哲学

戦後の日本人は、終身雇用の会社と強固な絆で結ばれた家族という「共同体」をベースに生きてきました。
そこでは、そうした共同体の中でいかに生きていくかということが、個人の大きな課題でした。

しかし社会構造の変化とともに、そうした共同体は力を失い、その一体感やつながりは昔ほどには強くありません。

すると、これまでのようにそうした共同体をベースに生き方を規定するだけではやって行けないケースが増えてきました。

「会社のために」「家族のために」ということだけでは生きられない人が増えたと言っても良いかもしれません。 

そうなると、「幸せは自分の内側に求めて行こう」という動きが強くなります。
外に求めても得られなければ、内に求めるしかないからです。

この動きはなにも現代だけではなく、歴史上繰り返し至る所で起きている社会のサイクルのようなものです。 

例えば、何か難局を迎えると人々は団結し助け合う共同体を作り上げる。
難局が過ぎ共同体の求心力が弱まると、人々は個の幸せを追求し始める。

古代ギリシャでも起こりました。

当時、アレクサンドロスによる世界帝国の出現により、それまでの古代ギリシャの共同体は崩壊したそうです。
より大きなものに飲み込まれ、古い共同体は求心力を失った。そこで起こったのがこうした現象。

つまり、共同体をベースにした生き方から個人をベースに生きていく価値観のシフトです。

当時、その要求に答えたのが「エピクロス派」「ストア派」という哲学でした。 

「快楽主義」と「禁欲主義」とも呼ばれるこれらの哲学は、現代を生きる私たちにもヒントになると思ったのでまとめてみました。

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目次

エピクロス派の哲学とは

エピクロス派は、エピクロスという人物による思想で「快楽主義」と呼ばれています。

快楽主義と言っても欲に任せて好き勝手やるのではなく、むしろその逆。
知的な哲学探求を行い、刹那的、享楽的快楽をできるだけ避ける清貧の生活のこと。

エピクロスが言う快楽とは、心が平穏であること(アタラクシア・魂の平静)

贅沢は真の快楽ではないいうわけ。
そして、幸せとは心が穏やかな状態を指します。

だから、できるだけ社会から離れて「隠れて生きる」ことが理想なのだそうです。 
それによって心の平穏を得ようとした。

エピクロス派は、社会から離れて自分の平穏を大切にしようとする生き方を選択した人たち。
つまり、(やや強引に!)現代に置き換えると次のようなことが言えるかもしれません。

積極的エピクロス派=移住、田舎暮らし、自分探しをする人たち
消極的エピクロス派=引きこもりやニート

ストア派の哲学とは 

ストア派は、ゼノンという人物による思想で「禁欲主義」と呼ばれています。

ちなみに、「ストイック」という言葉はこのストア派に由来します。
そのことからもわかるように、ストア派は理性(ロゴス)によって感情(パトス)に打ち勝つことが幸福だと考えます。

感情に負けない心(アパテイア=不動心)という究極の境地を目指します。

なぜなら、そうして確固たる自己を確立することで、時代の流れに左右されない独立した自由を得ることができるから。 

ストア派は、感情に負けないで禁欲的な修行を大切にする生き方を選択した人たち。
つまり、(やや強引に!)現代に置き換えると次のようなことが言えるかもしれません。

積極的ストア派=競争、挑戦、自己管理好きなエリートサラリーマン
消極的ストア派=我慢して働く会社員

歴史は繰り返す‥

よくよく考えてみると、現代を生きる私たちも程度の差こそあれ気付かぬうちにこのどちらかの哲学を選択していることに気づきます。

一般的には、ストイックに生きるストア派の人たちの方が社会的には成功しやすく、 心の平穏を大切に生きたいと願うエピクロス派の人たちは、生きるすべを見い出すのに苦労するケースも多いかもしれません。

もちろん、どちらの哲学が正しいとか優れているということではありません。

「歴史は繰り返す」と言いますが、現代で起こっていることと同じようなことがすでに古代ギリシャで起こっていたんですね…。

第3の道

ちなみに私自身は完全にエピクロス派なんですが、それでは社会で生きていくのが難しいので、第3の道を模索しながらやっています。

エピクロス派は気をつけないと堕落してしまいかねないので、そこに注意しながらストイックになりすぎないように、自分の気持ちも大切にしながらうまいことバランスをとっていくという感じです。

おそらく、その辺りの私個人の葛藤もこのサイトに色濃く反映されているのではないかと思います。その葛藤がこのサイトを作らせた訳ですから。

きっと、同じように第3の道を模索している人はたくさんいるでしょう。
今の時代は多くの人がそれを求めているのをひしひしと感じています。

事実、エピクロス派でもストア派でもない第3の道を選ぶことも今では可能です。
古代ギリシャにはなかったインターネットをはじめとしたテクノロジーが、その可能性を大きく広げました。

まとめ

今回は、社会・会社・家族などの共同体をベースにする生き方から、個人をベースにする生き方へのシフトが起きた時、その拠り所となる哲学として古代ギリシャの「エピクロス派」と「ストア派」を紹介しました。

そして、第3の道の可能性についても少し書きました。

この記事にピンと来る人と来ない人がいると思いますが、何かの参考にでもなれば幸いです。


カテゴリ モチベーションコラム
 タグ  哲学

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