人の為と書いて「偽」と読む

人の為と書いていつわり「偽」と読むんだねえ ──
これは相田みつをの言葉です。
なんだか「ドキッ」とさせられます。
私たちは「人のために何かをすること」は良いことだと単純に考えてしまいがちです。
しかし、よくよく考えてみれば、そこには多くの偽りが潜んでいるのかもしれません……。
例えば、「あなたのためを思ってしてあげたんだよ」と言いながら、実は自分の都合や価値観を押し付けているなんて事はよく見受けられることです。
本人は良かれと思ってやっているのかもしれませんが、それが相手にとっても良いことだとは限りません。 むしろ迷惑だと思われていることだって多いでしょう。
頼まれてもいないお節介は、大抵その人のエゴだったりします。
また、親の過干渉は子供の成長を妨げますし、弱者を救済する行為も時に本人の自立を妨げます。
本人が乗り越えるべき課題に対し、必要以上に手を出すのは「その人のため」という仮面を被った単なる自己満足になっている場合があるのです。
ボランティアの話
カトリック修道女で作家の渡辺和子さんの言葉に次のようなものがあります。
「養護老人ホームにボランティアに行っていた学生たちの報告を聞きながら、気になる言葉があるのに気づきました。「本を読んであげました」「肩を叩いてあげました」と言うのです。ボランティアというものは、本来「させていただく」ものだと私は思っています」
きっと本人はそんなつもりなかったのでしょうが、「やってあげた」という言葉には、やや上から目線のニュアンスが漂います。
その意識が強くなると、「やってあげたのだから感謝されて当然。間違っても嫌な顔されるような筋合いはない。もしそんな人がいたらその人は最低な奴だ」
……そんな発想にもなってしまうかもしれません。
つまり、やってあげた事の対価として金銭は求めていないけれど、実はその代わりに感謝や称賛という心理的な対価を求めている……。
だとしたら、それは人のためと言いながら自分のためにやっているということになるのではないか……
そうとらえられなくもありません。
本当に人のため?
最近は、「人のため」を謳う企業や団体が増えて来ました。 もちろん、素晴らしい使命を持って活動している組織もたくさんあるんですが、中にはそうした人の善意を利用して不当な利益をあげている組織もあります。
「人のため」という大義名分を振りかざして、従業員に過重労働を強いる経営者も存在します。
「人のために」と純粋に頑張る良い人ほど、そうしたトリックに引っかかって苦しい思いをしてしまいます。
まとめ
人のために何かをするのは素晴らしいことです。 やっぱり人間は助け合いながら生きていかなければなりません。
ただし、それが本当に人のためなのか?
それとも単なるエゴなのか?
ということは少し立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。
時に、善意の裏に別の目的が隠されていることがあります。
しっかりと真意を見定める目を持ちましょう。そこに「偽り」が潜んでいないか……。
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